まっつうさん、誉めたって何も出てきませんよ。敵だし(笑)。私はステージ写真に関しては初心者未満ですので、正統な撮りかたを判ってないだけかもしれません。ただ、どんな撮影のときでもそうですが、「お前なら、どう撮る?」と自分に問いながら臨んでいます。
さて、本論である。マロニエの並木道に落ちる木漏れ日の如く心優しい清水さやかさま、の事である。以前にも書いたように、我がソウルメイトが撮った写真が出会いだった。衝撃的な出会いだった。なんて可愛らしくて美しい人なのだろう、って思った。ライブに行ってじかに見る清水さやかさまはさらに美しかった。ライブへの出席を重ねる度に、ますます美しく見えてくる。きっと、これからももっと美しく見えてくるのだろう。
上記のように、私は今や全肯定である。清水さやかさまにも多数の欠点があるのだろう、きっと。だが、そんな欠点も美点に見える。なにもかもが良いのだ。頭のてっぺんからつま先まで、どんな行動も選択も正しく見える。
give&takeという言葉がある。生臭い言葉であるがエネルギーの保存則から言えば正しい言葉だ。ところが私と清水さやかさまに当てはめてみるとどうだろう? 私は清水さやかさまに与えてもらってばかりいる。なにもお返しが出来ていない。恥ずかしい限りだ。かようなお返しの出来ない不躾な私にも笑顔を絶やさない清水さやかさまの心の優しさに触れるたびに、「私が清水さやかさまに差し出せるモノは一体なんだろう?」といつも考える。多分、常に変わらぬ忠誠しかないのであろう。そのようなモノしか差し上げられないのは歯がゆいばかりだ。
メールを頂いた。「夢だ。夢の内容を書きやがれ」との事。しかしながら、夢は見なければ書くことは出来ない。見てもいない夢を創作して書くことも道義的に許されない。夢を見るまで御宥恕されたい。
こちらこそありがとう。
某氏の空気の読めなさぶりやアレなメールが恐ろしい昨今です(笑)。別にセックスに飢えているわけではございませんのに・゜・(ノД`)・゜・。
呼ばないようにします(笑)