とても気を遣うくせに大量にサバかなくてはいけなかったので、激しく胃痛中。
ニシダさん。私とニシダさんとの露出の差は、恐らく、ライブの違いではなく、私が「暗いの好き」だからだと思います(笑)。せっかくバックが黒なので、被写体が闇に溶けていく感じに撮りたいなぁ、といつも思ってます。ただ、そんな表現に関しては多くの不評を頂いているのが現状です(笑)。
ひろっちさん。藪崎さまとは相性が悪いらしく、ダメな写真を量産しています(笑)。これからは精進しますので長い目で見てやってください。
常々、私は清水さやかさまの美しさ・可愛さに言及するにあたって「究極」とか「極限」などと表現してきた。清水さやかさまよりも美しい人はこの世界に存在しないのだから妥当な表現ではあるが、私の中では違和感をずっと感じていた。「究極」とか「極限」と表現すると、まるで清水さやかさまの美しさに限界があるように感じられるからだ。
清水さやかさまの美しさ・可愛さには限界が無い。お見かけする度に清水さやかさまはどんどん美しくなられていらっしゃるのでソレは間違いない。しかし、誰よりも美しいのであるから「究極」であることも間違いない。私は清水さやかさまの美しさをより忠実に表現する言葉を持っていなかったワケだ。
ところが、今日、銀座のサービスからの帰りの電車の中で何気ない乗客の会話が耳に入ってきた。
「そりゃ、ヤリすぎだよ。ヤバすぎだって」
この言葉を聞いたとき、私の心に雷鳴が響き渡り、雲間から陽光が差した。なんでこんな簡単な事に気が付かなかったのだろう?
そう、清水さやかさまは「美しすぎる」のである。「可愛すぎる」のである。
世の中の様々な事象に限界があるとするなら、その限界を越えた状態を指す言葉として「〜すぎる」は妥当な表現である。清水さやかさまの美しさは、可愛さはとっくに限界を越えていらっしゃる。よって、清水さやかさまこそ、美しすぎるのであるし、可愛すぎるのである。
私も暗いハコなりの空気まで写ればいいなぁと思いつつ撮っています。
被写体そのものだけでなく空気とか匂いまで感じられる様なのが理想ですが、なかなかそんなのは撮れませんね(苦笑)。