左手でマウスを操作する事も、左手のみでキーを叩くのにも慣れてきた。
妹弟子のあみさんに任せっぱなしもなんだから、現場に行った。あみさんはワルノリして全てをセッティングしたのちに「先生、これでよろしいでしょうか?」なんて言いやがる。なんか、巨匠になったと勘違いしそうだ。
現場からの帰り道、とある駅でポスターをじっくり見た。JR東日本はポスターの写真をとても大切に考える会社の一つだけれど、今日見たポスターには腹が立った。岩手の厳美渓のポスターなのだけど、アンシャープマスクがバリバリにかかった薄気味の悪い写真だった。近景から遠景まで輪郭だけが妙にギチギチ感があって、一度撮った写真を切り貼りして再度ソレを写真に撮った、みたいな不自然さがあった。表現の手法としてならアリかもしれないけど、旅行を促すポスターにはそれなりの掟があってもよいだろう。それとも、こんなものでもOKなのか?
明日である。夕暮れ間もない未だ客の居ないバーの静けさの如く慎ましやかで美しい清水さやかさま、の御降臨の日である。もちろん、ローデシアの平原を颯爽と跳ねるインパラの如く美しい薮崎さまの御降臨の日であり、アドリア海の海底に静かに眠る伝説の女神像の如く美しい澁谷さまの御降臨の日であり、五月の蒼い空を従える眩しい太陽の如く美しい野見山さまの御降臨の日であり、パリの街角を駆け抜けるフランス製の青いスポーツカーの如く美しい武田さまの御降臨の日である。むろん、夕日に赤く染まるニューカレドニアの海と砂浜の如く美しい森谷さまの御降臨の日であり、冬の丘に雪を纏って静かに立つもみの木の如く美しい森田さまの御降臨の日であり、蝋燭の明かりに甘く揺れるマロングラッセの如く美しい久野さまの御降臨の日である。加えて言うならば、庭先の花に集う可憐なハチドリの如く美しい岩崎さまの御降臨の日であり、ネオンサインを浴びて鮮やかに輝くガラスのビルの如く美しい藤沢さまの御降臨の日である。あー、つかれた。
さて、諸君は覚えているだろうか? はじめてバイクにカノジョを乗せたときの感動を、はじめてサーフィンでテイクオフしたときの感動を、はじめて自分の金でカメラを買ったときの感動を、はじめて「蔵王の壁」を制したときの感動を。私はピカピカのステージで清水さやかさまを見るたびに、それらのような感動をいつも覚える。いつも美しいと感じる。
「美人は三日で飽きる」との格言があるが、清水さやかさまにソレは当てはまらない。なぜか? なぜなら、清水さやかさまは絶対的に美しいからだ。すなわち、美の極限であるので、世界のあらゆる事象よりも美しい。ゆえに、常に我々の心を突き動かすほどの美しさで我々の前に姿を現わす。
その昔、仏陀は悟りを開いたときに余りの感動に、菩提樹の下でヘラヘラと喜んでいたそうであるが、私の今の気持ちはまさにコレである。ピカピカの素晴らしさに、清水さやかさまの美しさに、虜になり続けている。
今は北がザンビア、南がジンバブエですね<ローデシア
ジンバブエが独立したあと「何で侵略者のセシル・ローズの名前国名にしてるんだべ?」と言うことで
ローデシアという名前は無くなってしまいました。
「ジンバブエの草原」じゃぁどうもアレですが(苦笑)。
・・・と長めにレスつけづらい北斗星風突込み。